酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

トピックス

発掘!戦前のサッカー部の写真

2015年5月11日  タグ: トピックス   1件のコメント

「我々は蹴球部で生まれ そして育った」(昭和16年の卒業アルバムより)

如水会館の5階にある資料室に、有志から寄贈された明治時代以来の
卒業アルバムが保管されている。その中で小平グラウンドとサッカー部の
写真が掲載されている最も古いアルバムが、昭和8年のアルバムだった。
以下、年代順に戦前の写真を並べていく。

【昭和8年】
S08-6 S08-3
S08-5 S08-4

昭和8年卒の方々が卒業20年後に制作したアルバムには、
小平の航空写真が掲載されていた。年代は定かではないが貴重な写真である。

S08-1 S08-2

【昭和10年】
S10-1 S10-2
S10-3 S10-4

【昭和11年】
S11-1 S11-2
S11-3 S11-4
S11-5 S11-6
S11-7 S11-8
S11-9 S11-10

【昭和14年】
S14-1 S14-2
S14-3 S14-7
S14-8 S14-9 S14-10
S14-11
S14-5 S14-6

【昭和15年】
S15-1 S15-2
S15-3 S15-4

【昭和16年】
S16-1 S16-2
S16-3 S16-4
S16-9 16-10

昭和16年卒の先輩が卒業に寄せて、以下の文章を記している。
それは、70数年が過ぎた今も色あせることなく、心に響いてくる。

『六年間真剣にボールを蹴って来た』
この言葉が我々卒業する部員の本当の気持ちを表現しているだろう。
入部した時はリーグ1部の末席であった。六年の後には漸く第2位に
進む事が出来た。この戦果は我々部員が青春の全部を燃やして闘い
穫っただけに、そして充分なる団結と旺盛なる意気がこの結果を
もたらして呉れたと信ずるが故に、今やこの懐かしい部生活に訣別を
告げるに際して、感慨一人深いものがある。

我々の学生生活を最も美しく、感激に満ちた生活たらしめて呉れたのは
蹴球部であった。喜びも悲しみも、今は総てが楽しい想い出の種として
我々の脳裡に去来する。我々は心から蹴球部に感謝している。

六年の間に社会のあらゆるものが変化して来た。
然も新しき時代に於ける蹴球部の使命は愈々重くなって来たのである。
我々は、蹴球部で生まれそして成長した者として、更に一段と輝かしき
発展を祈りつつ学窓を去ってゆくものである。

S16-5 S16-6
S16-7 S16-8

残念ながら昭和17年〜昭和20年代のアルバムは無かった。
おそらく戦中戦後の厳しい時代にアルバムを作る余裕が無かった
のかも知れないし、戦禍で焼失してしまったのかも知れない。
もし、その時代の写真をお持ちの方がいらっしゃったら、
ぜひご連絡ください。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

如水会報にサッカー部の記事

2015年4月26日  タグ: トピックス   コメントする

もうご存知の方も多いと思いますが、昨年の如水会報2月号に
サッカー部の記事が掲載されました。ご覧ください。

★如水会報「セピアの世界から」←ここをクリック
'14セピア2月号

ところで『如水会報』を編集している如水会 広報グループに
歴代の卒業アルバムが保管されているようで、
戦前の小平グラウンドを映した写真が多数見つかりそうです。
後日、このページで紹介したいと思います。
下記は昭和13年の卒業アルバムです。

★TOKYO SHODAI 1938←ここをクリック
小平1938-1小平1938-2

学生の広島遠征:修道大戦リポート

2015年2月16日  タグ: トピックス   コメントする

2月15日、現役の学生たちが広島に遠征し、修道大と戦った試合に
広島在住の宇田 均さん(S50卒)と佐藤健太郎さん(S51卒)の
お二人が応援に駆け付け、感想を寄せてくれました。
皆さんもご都合がつけば是非現役の応援に行ってやってください。

《宇田リポート》
昨日午後、応援に行ってきました。気づいた点は以下の通りです。

1. 40年前に比べ選手の体がガッチリしていて、
  接触プレーにも対応ができている
2. 技術レベルが我々の時代に比べ、はるかに向上している
3. 結構パスが繋がり、見ていて楽しい
4. 女子マネが多い
5. GMの金田君を見ていて、山崎彰人さん(S49卒)に似た
  雰囲気(背格好、髪型、プレーからくる全体雰囲気)があり、
  チームを引っ張っていく姿勢が素晴らしかった

話によれば今年は昨年のメンバーが数多く残っており
(51、52卒の時のように)リーグ戦が楽しみな雰囲気でした。
今年は時間が作れそうなので一度応援に上京したいと思いました。

金田大樹 蓮池就介
   金田大樹 GM      蓮池就介 キャプテン
山崎
 山崎彰人(昭49卒)・・確かに金田くんと似ている

《佐藤リポート》
宇田さんと応援に行ってきました。
現役の溌剌としたスピーディーなプレーに見入っていました。
蓮池キャプテンと金田GMとが挨拶に来てくれ、話していて
頼もしく思いました。新1年生の加入にもよりますが、
来シーズンは、1部昇格を期待してもいい様な布陣になりそうで、
楽しみです。またの情報提供を待っています。

藤の木のおやじさん、元気です!

2015年2月7日  タグ: トピックス   2件のコメント

今日、木村武志(昭52卒)と女子マネのイモケンこと佐藤博子(昭54卒)
の3人で我々の時代の監督だった外岡諒三郎さんを訪ね旧交を温めました。
御年91歳! 体はだいぶ弱られましたが、頭はしっかりされていて
記憶も確かでした。外岡さんを知る皆さま、ぜひ訪ねてみてください。

その後、小平のグラウンドを訪ね、その変貌ぶりに改めて驚きました。
帰りがけ、さらにビックリ。いや、懐かしい。
藤の木のおやじさんと、バッタリ遭遇したのです。
80歳になられたそうですが、風貌もあったかい人柄も昔のまま。
藤の木のトンカツとおやじさんのお世話になった方は、
たくさんいらっしゃると思います。元気でした!
次女めぐみさんのご主人は、今期、西武ライオンズの監督になった
田辺徳雄さんと知り、またまたビックリ。
今度、藤の木で集まりを持ちたいと思いながら小平を後にしました。

福本 浩(昭52卒)記

★小平グラウンドとシュート板
小平1 小平4
小平5 小平7
★国際学生宿舎となった一橋寮    
小平10 小平11
★生協と学食があった小平カフェテリア(中は確認できず)
小平15 小平16
★藤の木のおやじさんと
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アジア杯リポート:決勝 オーストラリア vs 韓国 @Sydney

2015年2月4日  タグ: トピックス   1件のコメント

1月31日(土)午後8時00分 @Sydney Olympic Stadium
シドニーの1月は、例年であれば真夏で、日中は35度Cを越える暑い日が多い
のですが、決勝戦の日は晴れてはいるものの、それほど暑くなく選手は動き
やすかったと思います。2週間前の準々決勝の日本とUAE戦とは違い(観客
数1万7千人)、地元のオーストラリアが決勝に進出していた為、チケットは
1週間以上前には完売となり、インターネットではプレミアムが付くチケット
となりました。観客動員数も7万人。特に地元の豪州人の多さは日本の試合と
は大きな違いでした。小職と家内も地元豪州を応援する為に、黄色の帽子や
シャツを着て応援しました (スタジアムも黄色一色でした)。

IMG_2006 IMG_2010

立ち上がりは韓国も動きが良く、お互い五分五分の戦いが続き、どちらかと
言うと韓国優勢でしたが、豪州が反撃から素晴らしいゴールを上げると、
スタジアム全体が震えるほどの大歓声に包まれました。後半に入り、韓国が
豪州陣内に攻め込む事が多く、豪州ゴール裏に陣取った韓国の赤シャツ軍団
が(総勢数千人)、人数は少ないわりには声も大きく、応援の言葉もリズム
も合っていて、結構スタジアムに響き渡る応援を繰り広げていたのが印象的
でした。そして、まさかまさかの91分に同点ゴールを決められてスタジアム
の豪州人達は全員がっくりとなりました。

しかし地元の7万人近い応援を受け、Socceroo(サッカーとカンガルーを
掛けた豪州チームの愛称・サッカールー)は頑張りました。ゴールライン際
で粘りに粘ってボールを折り返し、決勝ゴールが生まれました。地元の優勝
でスタジアム全体が興奮の坩堝になった感じでした(小職も相当大声で叫ん
でいました)。終わってみれば地元の初優勝で良かったと思う反面、やはり
日本が優勝して、この歓喜を味わいたかったと改めて思った次第です。

豪州双日・林産資源部 / 松尾 俊彦 (昭58卒) 記