酉松会新聞 第15号 発刊!
令和4年の酉松会新聞、第15号を発刊しました。
寄稿してくださったOB、現役部員の皆さん、ありがとうございます。
ラインアップは以下の通り。ぜひお読みください。
巻頭挨拶
⚽️ 緒方 徹 (昭49卒 会長):101年目に思う
特集:Soccer深イイ話
⚽️ 五味 正秀(昭55卒):Jのこと
⚽️ 松永 隆 (昭58卒):DAZN問題
⚽️ 小泉 武広(平28卒):ア式からバルサへ
海外便り
⚽️ 松尾 俊彦(昭58卒):豪州におけるコロナウィルス感染症について
⚽️ 船場 貴文(平8卒):フィリピンコロナ事情
⚽️ 示野 功雄(平13卒):ドイツのコロナ事情
⚽️ 永井 美澄(平16卒):マレーシア駐在時代の思い出
百年史秘話
⚽️ 福本 浩 (昭52卒 編集長):〝 一橋寮 〟の記憶
⚽️ 米 凛太郎(2年):小平尞リポート
⚽️ 原 智也 (1年):部活との距離感
戦いを終えて
⚽️ 北西 真之(4年 主将):価値のある1年間
⚽️ 七条 拓 (4年 GM):ア式蹴球部での4年間を終えて
⚽️ 阿部 海斗(4年):楽しむ力
⚽️ 河原 岳大(4年):前半、後半。
⚽️ 北畠 大暉(4年):大事な時に俺は
⚽️ 櫛田 潤 (4年):ギリ気づけた大事なこと
⚽️ 佐川 友規(4年):生涯最高の一戦
⚽️ 戸田 知輝(4年):大切にしていること
⚽️ 戸塚 陵介(4年):忘れられない瞬間
⚽️ 内藤 昴平(4年):充実した4年間
⚽️ 藤井 勇磨(4年):けがとリハビリと見学と
⚽️ 森下 昴 (4年):一生のようにも思えた4年
⚽️ 八乙女ゆい(4年 MGR):4年間の総括
⚽️ 山口 健介(4年):感謝
令和4年度シーズンに向けて
⚽️ 皆川 開 (3年 強化本部長):歴史ある歩みの中で
⚽️ 近岡 頌 (3年 学生監督):新しいチャレンジ
⚽️ 長島 直紀(2年 事業本部長):「チーム」から「クラブ」へ。
私の学生LIFE
⚽️ 小林 尚史(2年):両立に向けて
⚽️ 清水 真衣(2年 MGR):充実した学生生活
⚽️ 森谷 高太(1年):平凡な?学生ライフ
編集後記
⚽️ 福本 浩 (昭52卒 編集長):月は東に 日は西に
100周年記念OBOG総会/OB戦は延期
一橋大学ア式蹴球部OB・OG各位殿
頭書の件に関し、これまで大変多くのOBOGの皆さんよりご参加頂けるとの
ご意向を頂戴しておりましたが、ここに来てのオミクロン株の急拡大を受け、
昨日あらためて幹事内で議論の結果、当部が目指す社会や近隣住民の皆さんに
愛されるチームという観点に照らし、また折角ご参加頂ける皆様のご健康への
懸念を勘案、大変残念ながらグランドに於けるお祝い及びOBOG戦は、
コロナ収束までしばし延期とさせて頂くとの結論に至りました。
このたびは大変残念なご連絡となり洵に申し訳ありません。
尚、当日予定していたOBOG総会に関しましては、
年次必須の決議事項を含みますので、同日にリモートで開催させて頂きます。
予定時間10:00~12:00。リモートでお入り頂く番号については
別途お送りいたします。
重ねてとなりますが、ご参加を表明頂きました皆様、
またご欠席をご連絡頂きました皆様、当日ドタ参をされようとしていた皆様、
またその他OBOGの皆様、これまでのア式蹴球部へのご支援、ご指導に
深く御礼申し上げます。
何卒引き続き、宜しくお願い申し上げます。
酉松会 金谷
写真で辿る小平の記憶 ❸
昭和50年代も変化が続く。
まず、昭50(1975)の「建物配置図」を見ると、
新しいテニスコート(6面)とバレーコート(4面)が設置されている。
そしてこの年以降、サッカー場とホッケー場が明記されるようになった。
理由はわからない。小平グラウンドは体育の授業も行われていたので、
大学側としてはサッカー部とホッケー部の専用ではなく、
他の学生も使用する運動場という認識だったのかも知れない。
なぜこの年から明記されたのかという疑問も残る。考え過ぎか・・

昭55(1980)
プレハブ部室がすべて撤去され、その跡地に福利厚生施設と合宿研修施設ができる。
その用途は不詳。また部室棟に並んでいた生協が取り壊されている。
福利厚生施設の1階に生協ができたのか?
合宿研修施設とは何か? 合宿で寝泊りできる部屋ができたのか?


昭57(1982)
戦前は寮の一部として、戦後は部室として使われ続けた旧学生控所が取り壊され、
新しく鉄筋コンクリート造2階建の課外活動施設(現部室)ができる。





そして、時代は平成へ。
30年の歳月は小平キャンパスを大きく変えたが、それで終わりではなかった。

平成8年(1996)5月に小平分校が廃止となり、授業が行われなくなった。
これを契機に小平キャンパスと学園西町は、サッカー部員にとって
練習や試合をしに行くだけの場所になってしまった。
昭和世代にとっては寂しい限りである。

平成11年(1999)から平成15年(2003)にかけて、
昭和の面影を宿す建物は次々と消え、小平国際キャンパスへと生まれ変わる。
その過程を年度順に記していくと・・
平12(2000)
特別教室や講堂が撤去された跡地に如水スポーツプラザができる。
平13(2001)
本館、1-2号館、語学ラボ、バレーコート、テニスコート、ホッケー場が撤去される。

平14(2002)
本館の跡地に国際共同研究センターができ、福利厚生施設が国際交流プラザになる。

平15(2003)
キャンパスの中央部に国際学生宿舎A〜E棟と小平国際ゲストハウス、さらに
ホッケー場の跡地に独立行政法人 大学改革支援・学位授与機構のビルが竣工。
そして5月、小平国際キャンパスの完成記念式典が挙行された。

平成元年度と平成16年度の「建物配置図」を比べてみると
その凄まじい変貌ぶりがよくわかると思う。

以下、令和3年(2022)現在の小平キャンパスの撮影が可能になり次第、
追記するつもりである。お楽しみに。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記