酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

写真で辿る小平の記憶 ❶

2022年1月16日  タグ: 沿革   コメントする

今年で小平キャンパスの歴史は、およそ90年になる。
昭和世代はもちろんのこと、平成10年代前半卒までのOBOGにとっては、
現在の小平国際キャンパスの風景は現役時代とは大きく違い、記憶も薄れ、
思い出すのがどんどん難しくなっていると思う。

そこで、『100年史』を編纂するにあたって集めた貴重な写真と
左サイドバーに掲載した『小平G建物配置図』を使いながら
小平キャンパスの変遷を、最初から辿ってみることにする。
では、タイムマシンの目盛りを90年前の昭和7年(1932)にセットし、
時空旅行スタート!

『東京商科大学の精神と風土』(大澤俊夫著)によれば、
小平の地に東京商科大学予科キャンパスの建設が始まったのは
昭和6年(1931)10月。まだ屋根が未完成の本館しかない下の写真は、
昭和8年度の「建物配置図」(それ以前の記録はない)と
ほぼ一致するので、昭和7年頃に撮影されたと推測できる。

そして昭和8年(1933)9月に新学期が始まったというが、この時も未完成。
昭和11年の撮影として上述書に掲載された下の航空写真は、
昭和12年度の「建物配置図」と一致するので、おそらく正しい。


戦前に造られた建物の多くは戦後も長く残り、授業や課外活動に使用された。
「建物配置図」に初めて記載された年度に従って列挙していく。
(竣工した年とは限らない)また写真は戦前のものが少なく、
多くは戦後に撮影されたものであるが、建物の外観は戦前のままである。
(卒業アルバムの写真の撮影年は不詳)

昭 8(1933)本館
昭 9(1934)プール / 弓道場 / 柔剣道場
昭10(1935)寄宿舎 / 食堂及学生控所 / 雨天体操場(体育館)
昭11(1936)書庫及図書閲覧室 / 特別教室 / 講堂
昭12(1937)如意団(坐禅部)道場
昭14(1939)浴室及便所












昭和20年5月25日、小平キャンパスは米軍の空襲を受ける。
昭和22年撮影の国土地理院の航空写真を見ると、
寄宿舎は焼失したが、その他の建物は無事だったようだ。
またグラウンドは戦後の食糧難を補うために農園として利用され、
所々に畑の畝のようなものが見える。

昭24-25(1949-50)寄宿舎の再建が始まる
昭27(1952)寄宿舎の食堂ができる
昭29(1954)寄宿舎4棟(旧一橋寮)が竣工
・・・噴水蛇口が4段から3段に 空襲で最上部を欠損?
昭31(1956)弓道場が浴室及便所の北側に移動






昭28(1953)〜 昭57(1982)
小平グラウンドでサッカー部の練習が始まる。そしてこの年、
寮として利用されていた学生控所が、運動部や文化部の部室となる。
以来、1982年(昭57)に取り壊されるまで使われ続けた。
建設された年(昭10)から数えると、この木造の建物は50年近くの風雪に
耐えたわけである。すでに私の代でも(昭52卒)ボロボロだった。
田舎から送られてきたミカンなどの食料や衣類を詰めたダンボールを
個人専用の整理ケースとして使っていたのを懐かしく思い出す。







最後に戦前と昭和30年代の小平キャンパスの航空写真を並べてみる。
寄宿舎が建て替わった以外は、ほとんど変わっていないことがわかる。

以下、次号に続く。

写真で辿る小平の記憶 ❷

2022年1月15日  タグ: 沿革   コメントする

昭和40年代、小平キャンパスは大きな変革の時代を迎える。
まず昭和41年7月1日から、西武多摩湖線の最寄駅が変わった。
それまでは国分寺駅から1つ目の一橋大学駅(戦前は商大予科前駅)だったが、
2つ目の小平学園駅と共に撤去され、両駅の中間点に現在も使われている
一橋学園駅ができたのである。写真で辿ってみると・・







昭和42年から小平キャンパスの新築・改築ラッシュが始まる。
戦前に建てられた木造の体育館、図書館、一橋寮、弓道場が取り壊され、
わずか数年の間に次々と鉄筋コンクリート造の建物に変わっていった。
その凄まじい変貌は、昭和41年と47年の「建物配置図」を比べれば一目瞭然。
小平キャンパスは新時代を迎えたのだ。

昭42(1967)合併教室(1号館)
昭43(1968)新学生食堂(生協食堂、後に小平カフェテリア)
昭45(1970)新体育館 / 新館教室(2号館)/ LL教室 / 新図書館 / 職員宿舎
昭46(1971)新柔剣道場
昭47(1972)4階建2棟の新一橋寮






昭47(1972)
新一橋寮が竣工したこの年、もう1つの変化がある。
学生控所(部室)に並ぶ食堂の一部が取り壊され、生協に改築された。
昭和43年に新しい学食ができたので必要がなくなったということか。


昭48(1973)
新体育館と新一橋寮の間に50mプールができた。
戦前に造られたプールは写真で見る限り短いので、25mだったようだ。
さらに弓道場が撤去された跡地に、プレハブの部室が設置されている。
課外活動の部が増え、部室が足りなくなったためか?
アメフト部のプレハブ部室もあるので、活動を始めたのはこの頃か?
また、本館の外壁が黒っぽい色に塗られている。
学園紛争の頃、落書きがひどかったので塗られたという話もあるようだ。
いろいろわからないことが多いので情報を集めたい。




昭45(1970)〜 昭46(1971)
少し年度が戻るが、小平グラウンドも大きく姿を変えた。
それまでのサッカー場は玉川上水に並行してタッチラインが引かれ、
ゴールは東西に設置されていた。東ゴールの隣にあるシュート板は、
昭和28年にOB有志の寄付によって設置されたものだが、
およそ10年後にボロボロになり、昭和41年に修復されたようだ。





「建物配置図」には記載されていないが、OB諸氏の記憶によれば、
昭和45年の暮れから46年の春にかけて大規模な改修工事が行われたという。
ホッケー場は、撤去されたテニスコートの跡地に移動。
サッカー場は90度向きが変わり、ゴールは南北に設置され、
それに伴いシュート板も南側に新設された。
人工芝になった現在のサッカー場は少しワイドになったが、
新しいシュート板の位置は、50年前とまったく変わっていない。





以下、次号に続く・・・

写真で辿る小平の記憶 ❸

2022年1月14日  タグ: 沿革   コメントする

昭和50年代も変化が続く。
まず、昭50(1975)の「建物配置図」を見ると、
新しいテニスコート(6面)とバレーコート(4面)が設置されている。
そしてこの年以降、サッカー場とホッケー場が明記されるようになった。
理由はわからない。小平グラウンドは体育の授業も行われていたので、
大学側としてはサッカー部とホッケー部の専用ではなく、
他の学生も使用する運動場という認識だったのかも知れない。
なぜこの年から明記されたのかという疑問も残る。考え過ぎか・・

昭55(1980)
プレハブ部室がすべて撤去され、その跡地に福利厚生施設と合宿研修施設ができる。
その用途は不詳。また部室棟に並んでいた生協が取り壊されている。
福利厚生施設の1階に生協ができたのか?
合宿研修施設とは何か? 合宿で寝泊りできる部屋ができたのか?


昭57(1982)
戦前は寮の一部として、戦後は部室として使われ続けた旧学生控所が取り壊され、
新しく鉄筋コンクリート造2階建の課外活動施設(現部室)ができる。





そして、時代は平成へ。
30年の歳月は小平キャンパスを大きく変えたが、それで終わりではなかった。

平成8年(1996)5月に小平分校が廃止となり、授業が行われなくなった。
これを契機に小平キャンパスと学園西町は、サッカー部員にとって
練習や試合をしに行くだけの場所になってしまった。
昭和世代にとっては寂しい限りである。

平成11年(1999)から平成15年(2003)にかけて、
昭和の面影を宿す建物は次々と消え、小平国際キャンパスへと生まれ変わる。
その過程を年度順に記していくと・・

平12(2000)
特別教室や講堂が撤去された跡地に如水スポーツプラザができる。

平13(2001)
本館、1-2号館、語学ラボ、バレーコート、テニスコート、ホッケー場が撤去される。

平14(2002)
本館の跡地に国際共同研究センターができ、福利厚生施設が国際交流プラザになる。

平15(2003)
キャンパスの中央部に国際学生宿舎A〜E棟と小平国際ゲストハウス、さらに
ホッケー場の跡地に独立行政法人 大学改革支援・学位授与機構のビルが竣工。
そして5月、小平国際キャンパスの完成記念式典が挙行された。

平成元年度と平成16年度の「建物配置図」を比べてみると
その凄まじい変貌ぶりがよくわかると思う。

以下、令和3年(2022)現在の小平キャンパスの撮影が可能になり次第、
追記するつもりである。お楽しみに。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

100周年記念OBOG総会/OB戦、開催へ

2021年12月23日  タグ: お知らせ   コメントする

一橋大学ア式蹴球部OBOG各位殿

コロナ禍により長く延期となっていた100周年記念行事が、
来年1月のOBOG総会/OB戦と日時を合わせて開催されることが
酉松会幹事会において正式決定されました。
当日の詳細等々のご案内は別途させて頂きます。

尚、開催においては、
従前の午前OB戦/午後OBOG総会の順序を入れ替え、
午前OBOG総会/午後OB戦とし、
100周年並びに小平人工芝化のお祝いは、
OB戦にあわせてグラウンドでと考えております。
また外部の施設をお借りしての開催ではないため、
費用についても、
従来のような高額を頂戴することは考えておりません。

【開催日時】 2022年1月22日土曜日
*OBOG総会:午前(予定)
*OB戦&100周年並びに小平人工芝化お祝い:午後(予定)

【開催場所】
*OBOG総会:一橋大学小平国際キャンパス内会議室
*OB戦:一橋大学小平人工芝グラウンド

できるだけ多くの皆様と、一橋大学ア式蹴球部100周年を祝い、
人工芝グラウンドを楽しめればと幹事一同願っておりますので、
重ねてとなりますが、何卒万難を排してご予定の確保を頂き、
是非ともご参加ください!! 宜しくお願い申し上げます。

酉松会幹事一同

発掘!小平キャンパス建物配置図

2021年12月20日  タグ: 沿革   コメントする

『100年史』編纂の終盤に、貴重な資料に出会った。
昭和8年から現在に至るまで毎年発行されている
小平キャンパスの「建物配置図」である。
『100年史』に使用した小平キャンパスの航空写真の撮影年が
ある程度推測できるし、写っている建物がそれぞれ何であるかが
一目でわかる資料で大いに助けられた。
戦前の商大予科時代の航空写真と「建物配置図」を並べてみると・・

【昭和9年(1934)卒業アルバム】    【昭和8年(1933)商大一覧】

【昭和11年(1936)予科の精神】    【昭和12年(1937)商大一覧】

この資料は下記のウェブサイトからダウンロードできる。
【一橋大学機関リポジトリ HERMES-IR】(クリックして移動)

【資料名】
*東京商科大学一覧:大正9年~昭和17年
*東京産業大学一覧:昭和18年~昭和20年
*一橋大学一覧:昭和24年~昭和43年
*一橋大学要覧:昭和38年~平成元年
*一橋大学概要:平成2年~

左サイドバーの「小平G建物配置図の変遷」をクリックすると
まとめたものがダウンロードできるので、ご参照いただきたい。
現役時代の記憶を呼び戻す一助になれば幸いである。

昭和20年代:戦後復興期

【昭和22年(1947)国土地理院】    【昭和25年(1950)一橋一覧】

【昭和28年(1953)一橋一覧】     【昭和29年(1954)一橋一覧】

昭和30年代:高度成長期

【昭和30年(1955)一橋一覧】     【昭和32年(1957)卒業アルバム】

【昭和31年(1956)一橋一覧】     【昭和34年(1959)卒業アルバム】

昭和42年〜昭和57年:第1次変革期
鉄筋コンクリート造の新しい建物が増え、
一橋寮や各運動部のコートの配置も大きく姿を変えた。

【昭和42年(1967)一橋一覧】     【昭和43年(1968)一橋一覧】

【昭和45年(1970)一橋要覧】     【昭和46年(1971)一橋要覧】

【昭和47年(1972)一橋要覧】     【昭和48年(1973)一橋要覧a】

【昭和48年(1973)一橋要覧b】     【昭和50年(1975)一橋要覧】

【昭和55年(1980)一橋要覧】     【昭和57年(1982)一橋要覧】

平成元年〜令和3年:第2次変革期
平成8年に小平分校が廃止され、平成12年から平成16年にかけて
小平国際キャンパスへと「建物配置」は再び大きな変貌を遂げる。
そして令和3年3月、グラウンドの全面人工芝化が竣工し、現在に至る。

【平成元年(1989)一橋要覧】      【平成8年(1996)一橋概要】

【平成12年(2000)一橋概要】     【平成13年(2001)一橋概要】

【平成14年(2002)一橋概要】     【平成15年(2003)一橋概要a】

【平成15年(2003)一橋概要b】     【平成16年(2004)一橋概要】

【平成23年(2011)一橋概要】     【平成27年(2015)一橋概要】

【令和3年(2021)一橋概要】