酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

一橋レガシーを未来へ!

2019年8月30日  タグ: お知らせ   2件のコメント

小平グラウンド人工芝化プロジェクトが本格的に始動してから
半年が過ぎ、8月3日までに 63名 の方から 3,765万円 の寄付金が
寄せられました。目標とする1億2000万円のおよそ3分の1。
かなりのハイペースですが、まだまだ道のりは長く険しいです。
この機会に酉松会の方々に申し上げたいことがあります。

小平グラウンドの人工芝化プロジェクトは、
「一橋レガシー Ikkyo Legacy の創出」ということです。

2021年、創部100周年という記念すべき年に、
我々一橋サッカー部のOBが、後輩たちの未来のために
残すことができる、初めての「レガシー(遺産)」なのです。

小平グラウンドで4年間ボールを蹴った・・その絆で結ばれた
「酉松会」という組織の力が、今こそ試されています。
なにとぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。

個人的な話になり恐縮ですが、私は昭和52年卒で、
4年生のとき関東2部から東京1部へ降格しました。
リーグ優勝や昇格を果たした代のように誇れるものはありません。
サッカー部への寄付や酉松会の活動にも、長い間、無関心でした。
小平に人工芝グラウンドができれば、そんな私でも、
一橋サッカー部の一員であったことに「誇り」を持つことができます。

数年前から酉松会新聞に投稿する現役たちは、
一橋サッカー部を「ア式」と呼ぶようになりました。
現在、大学のサッカー部で「ア式蹴球部」と呼称するのは、
東大、早稲田、そして一橋の3校だけです。
現役たちが「ア式」と呼ぶのは、100年近い長い歴史を持つ
我が部への「敬意」と「誇り」の表れだと思います。

そして彼らは、すでに「レガシー」も生み出しています。
「ユニット制」です。
他の大学にはない、この独自のチーム運営システムは、
これからも「レガシー」として未来へ引き継がれていくでしょう。

我々OBも負けてはいられません。
小平グラウンドの人工芝化こそ、酉松会の「誇り」であり、
未来に残せる「レガシー」に他なりません。
重ね重ね、ご協力をお願いいたします。

最後に蛇足になりますが、私が「一橋レガシー」を
「いっきょうレガシー」と呼びたい理由を述べます。

私の現役時代、一橋サッカー部の略称は「いっきょう」でした。
試合前の掛け声は「いっきょう、ファイト!」でしたし、
相手チームにもそう呼ばれていたと記憶します。
(たまに蔑称として「いっぱし」と呼ばれることも・・)

ちなみに文化祭は「一橋祭(いっきょうさい)」で、
寮も「一橋寮(いっきょうりょう)」と呼んでいましたね。

ですので、「ア式」という略称には違和感があり、
「いっきょう」の方に親しみと愛着を覚えます。
これは「誇り」が足らないせいでしょうかね。

酉松会新聞 編集長
福本 浩

小平G人工芝化へのご協力のお願い

2019年7月8日  タグ: お知らせ   コメントする

皆さま

一橋大学ア式蹴球部は今年の東京都2部の春季リーグを終えて、
7勝1敗1引分・勝ち点22で8勝1敗・勝ち点24の朝鮮大学に次いで2位と、
秋季が大いに期待できる位置につけています。

ここで、改めて人工芝化プロジェクトに関してお願いです。
2019年1月のOB総会での決議以降、寄附の募集を開始し、既に約50名、
3300万円の寄付を頂いております。またつい先日は、現役の父兄から
高額の御寄附を頂いています。

ご承知と思いますが、小平グラウンドは年々劣化が進んで砂漠のような
状態となっており、一人でも多くの酉松会会員のサポートが必要です。
サッカー部、アメフト共同で人口芝化を進めており、サッカー部は
総額1.2億円を集める計画です。1口2万円、推奨20口としておりますが、
小口でも構いません。皆様のご協力をお願い致します。

大学と如水会との関係が微妙な中で、大学側や関係者との交渉も
熱意を持ってかつ慎重に進めています。ほかに大口の寄付を受けられる
可能性についても、酉松会の担当幹事を中心に業務繁忙の中、
努力を続けています。皆様におかれましては、この計画の趣旨を
是非ご理解いただきご協力を重ねてお願い致します。

「寄附の流れ」と「寄附申込書」を添付します。
右記をクリックしてご参照ください。kifunonagare

緒方 徹(昭49卒 酉松会会長)記

酉松会新聞 第12号 発刊!

2019年3月7日  タグ: お知らせ   4件のコメント

平成最後の酉松会新聞が完成しました。
100ページ近い特大号です。投稿してくださった方に感謝!
ラインアップは以下の通りです。

なお今回は写真の画質を良くするため、いつものPDFファイルより
3〜4倍大きいサイズにしたので、ネット環境によっては
ダウンロードに1分ぐらいかかるかもしれません。
気長にお待ちくださいませ。

巻頭挨拶 P3
⚽️ 緒方 徹 (昭49卒 会長):「当機」と向かい合う年に

小平G人工芝化への期待 P5
⚽️ 重満 紀章(平7卒):ついに、始動!
⚽️ 神谷 佳典(平7卒):まず、始めよう!
⚽️ 倉崎 嘉幸(昭57卒):人工芝化への道のり
⚽️ 下川 葵( 3年 MGR):人工芝になったら①
⚽️ 中田 裕之(2年):人工芝になったら②

百年史秘話 P16
⚽️ 山崎 彰人(昭49卒):小平サッカー場とユニホームの思い出
⚽️ 笠間 昭彦(昭50卒):片山 洋さんとの想い出
⚽️ 平林 幸治(平25卒):ユニット制に込めた想い

戦いを終えて P31
⚽️ 中野 正樹(4年 主将):今、思うこと
⚽️ 岡谷 真弘(4年 GM):覚悟と成長
⚽️ 池田 真 (4年):イメージと真逆の大学生活
⚽️ 大内 健太郎(4年):ア式での4年間
⚽️ 大山 達也(4年):4年間を終えて
⚽️ 小野間 顕(4年):ア式での4年と今後への期待
⚽️ 加賀 平朗(4年):「学生主体」
⚽️ 神藤 悠斗(4年):広報ユニットの改革
⚽️ 塩月 航輝(4年):サッカー漬けの日々
⚽️ 重宗 大貴(4年):ハッピーエンド
⚽️ 関澤 勇人(4年):ごーる
⚽️ 田尻 一真(4年):広報・技術ユニットの活動
⚽️ 玉水 寛人(4年):「苦楽」
⚽️ 戸井 純平(4年):「後悔」
⚽️ 中村 祐樹(4年):4年間を振り返って
⚽️ 西本 優壱(4年):ア式部員として
⚽️ 根木 俊輔(4年):反省と今後のア式へ
⚽️ 船田 和佐(4年):本気になれる環境
⚽️ 堀本 陽太朗(4年):「感謝」
⚽️ 松本 絃輝(4年):サッカーと真摯に向き合って
⚽️ 向井 健太(4年):フィジカルユニット食事班
⚽️ 鹿嶋 茜 (4年 MGR):「なぜ頑張れたのか」
⚽️ 野口 明穂(4年 MGR):『向き合うこと』
⚽️ 平野 優 (4年 MGR):四年間の記憶

平成31年度シーズンに向けて P64
⚽️ 高山 修也(3年 新GM):「一心」で、再び1部の舞台へ

自由テーマ P65
⚽️ 橋詰 邦弘 (昭56卒):温泉三昧、ついでにサッカー
⚽️ 樋口 哲司 (昭59卒):仕事とサッカーは似ている
⚽️ 金田 大樹 (平28卒):ア式の価値向上に向けて 社会人サッカー編

私の学生LIFE P73
⚽️ 城所 知希(3年):授業に行く僕は哀れな労働者
⚽️ 菅家 恵 (3年MGR):マネージャー 華の女子大生ライフ
⚽️ 雨宮 一郎(2年):トラウマ的アルバイト体験記
⚽️ 達 康大(2年):一人暮らし
⚽️ 阿部 海斗(1年):彼女との思い出
⚽️ 森下 昴 (1年):僕とPS4

追悼 ヤスベー P81
⚽️ 有志一同:我らが良き友 ヤスベー ありがとう!

編集後記 P95
⚽️ 福本 浩 (昭52卒 編集長):平成の終わりに

小平G人工芝化PJ、ついに始動!

2019年1月16日  タグ: トピックス   コメントする

去る1月12日(土)に三菱養和巣鴨スポーツセンターで行われた
平成30年度酉松会総会において、長年の懸案であった
小平グラウンドの人工芝化プロジェクトが決議されました。
今後アメリカンフットボール部とタッグを組み、OBの寄附を中心に
総額 2億4千万円 を集め、2020年3月竣工 を目指すことになります。

小平グラウンドは1996年の小平分校の廃止に伴い、体育などの授業で使用され
なくなった事から大学の予算配分が割り当てられなくなり、土質・勾配の劣化、
排水設備の機能不全などから特に雨天時など、益々使用に耐えられない状況と
なっております。

【小平グラウンドの惨状】



公式戦は当然のごとく小平で行われることはまず無く、現役が常にアウェーでの
戦いを強いられている事は、酉松会会員の皆様は良くご存知のことと思いますが、
加えて練習も小平グランドを避け、予約が取れる限り府中の郷土の森サッカー場
などを使用して練習をしていると聞きます。

【郷土の森サッカー場】

人工芝化は過去より現役・OBを問わず議論されてきながらも実施に至らなかった
事の理由は、主としてその費用の個人負担の高額さにあったと考えます。今般も、
これは依然として議論の対象となりながらも、現役・OBの皆様方の、いよいよ
このままでは時代に取り残されてしまうとの焦りと、ピカピカの人工芝グランドで
ホームゲームを開催したいとの熱意の方が勝り、議決を頂けたものと理解しており
ますが、敢えて申し上げると、これに加えて以下のような要素もあったかと思って
おります。

一つ目は、人工芝の価格がこなれてきたこと。
昨今は公立小中学校を含めた学校施設や公的グランドの人工芝化の案件が目白押し
で、積水樹脂などはドイツから輸入していた人工芝を国内の工場でライセンス生産
を開始。これらの要素でサッカー+アメフト+野球場で、3年前に 3億4千万円 
あった見積もりが、2億4千万円 にまで 大幅低減しました。

 

二つ目は、2008年にいち早く寄附で人工芝化を図ったラグビー部に加え、
空手部、陸上部、ボート部、テニス部、フィールドホッケー部など、他の運動部が
軒並みOBによる寄附で、その設備の更新を図って来た、ないし図ろうとしている
ことが上げられます。

尚、平均40万円は、ラグビー部の例に倣い OBのうち6割が寄附に応じる との前提
に基づき、2億4千万円のうち サッカー部負担分の1億2千万円 を500名のOB総数
の6割である 300名 で割った数字となります。ここから 税控除 で 4割 程度が
返ってくることになります。

【寄付の流れ】
寄附の申込先は税法上の 寄附金控除 適用が可能となる
「公益財団法人一橋大学後援会」としております。「一橋大学後援会」は公益財団
法人の認定を受けており、個人または法人からの寄附について所得税住民税 及び
法人税 
の優遇措置として、課税対象から除かれることが認められております。
ただし住民税の控除は都民のみです。寄附申し込みの具体的な手続きは以下の通り。

①申込み
まず 一橋大学後援会HP から「寄附申込書」ダウンロードし、
必要事項を記入します。(緑太文字の「一橋大学後援会HP」をクリック)

 【寄附申込書】   【税の控除について】
  

寄附目的の欄は「課外教育振興基金」を選び、
部名を「サッカー部」と書いてください。
寄附申込書は、E-mail、FAXまたは郵便にて申込みができます。

メールkifu-moshikomi@hit-u-koenkai.or.jp
(必要事項を記入した申込書を写真撮影してメールに添付)

郵送:〒186-8601 東京都国立市中2-1
国立大学法人一橋大学内 公益財団法人一橋大学後援会

FAX:042-580-8071 /  問い合わせ:042-580-8071

②入金
指定金融機関にお振り込みください。
振込先は「寄附申込書」に記載されています。

③「寄附金控除」必要書類の受領
一橋後援会が入金を確認後、寄附金控除を受ける際に必要な書類
領収書認定書税額控除に関わる証明書)を送付します。
寄附金控除につきましては、各自 確定申告 をお願いいたします。

如水会カード(クレジットカード)を保持されている方は、同カードを通じた
寄附も可能です。詳細は 「如水会」  のサイトをご覧ください。
(青太文字の「如水会」をクリック)

いずれにせよ決議された以上一気呵成にプロジェクトを進め、来年度中の竣工に
漕ぎ着けたいと考えております。準備万端で 創部100周年2021年を迎え
られれば、これに越したことはないと考えます。現役の皆さんには、もちろん
ホームの人工芝グラウンドを満喫して頂きたいし、OBにとっても、若手は子供
も含めた家族連れで、年配のOBの方々は孫を連れてリーグ戦の応援に来られる
ような、そんな集いの場になれば最高だと思います。

1年前の総会で同期の神谷君と共に大役を金谷総代表より仰せつかり、体調を
崩された倉崎先輩に過去の経緯を含めてご指導を頂きつつ、アメフトOB、大学
学生課、人工芝工事業者、大学後援会、創価高校OB、準硬式野球を始めとする
グラウンド利用者らとの調整に奔走して参りましたが、頂上は見えた気がして
おります。あともう一頑張りし、皆さんと人工芝になった小平グラウンドで、
笑顔でお会いできることを楽しみにしております。

重満 紀章(平成7卒 人工芝担当)記

100年史 ① 〜 草創期

2019年1月11日  タグ: 沿革   コメントする

2021年、わが一橋大学ア式蹴球部は創設100周年を迎える。
国立の一橋大学附属図書館に、創設当時のエピソードを伝える
貴重な資料が残されていることをご存知だろうか。
昭和9年(1934)に創刊され第9号まで作られたという
我が部初めての部誌「蹴球」である。

創刊号の一部を下に掲載するので、この機会にぜひ読んでいただきたい。
下記をクリックすればPDFファイルをダウンロードできます。
「蹴球」創刊号:巻頭写真と川村氏の寄稿

創刊号に寄稿した創設メンバー6名の1人、川村 通 によれば
「蹴球団」の結成は、大正10年(1921)。当時、一橋大学は
予科3年・本科3年の 東京商科大学 と呼ばれていた時代だ。
(大正9年に東京高等商業学校から昇格)
その経緯を川村は軽妙に綴っている。

“僕等が一ツ橋の学校に入ったのは大正九年だった。其の翌春二年に
成って気も落ち着くと、何か自分の営みらしいものが欲しくなる。
此の時分だった、猫額大の校庭に体操教官から借用の古びた籠球用
ボールを、一人で蹴って遊ぶ一壮漢を見出したのは。しかも打ち見れば、
いささか年配の高商生(東京高等商業学校出身の学生)である。食堂の
壁に蹴あてし鞠は、転じて以て学生集会所の窓を襲ひ、鞠を受け鞠を追ひ、
縦横無尽の大活躍だ。ロイド眼鏡の奥に人なつこい眼が笑ふ。是が我が
兵藤先輩であった。たちまち僕も此の清貧孤独にして、しかも鞍馬山は
義經の一人剣術的蹴鞠(敢て後年の蹴球と分つ)の仲間入りをした。
朝は始業前から蹴る。昼休勿論蹴る。放課後は最も蹴る。日沒に至って
わずかに止む。日曜日にも登校して終日蹴った。従って仲間も日増しに
ふえた。”


そして6月、東京高等師範学校(後の教育大、現在の筑波大)の
グラウンドで早稲田高等学院(早大の予科)を相手に初試合を行った。
結果はスコアレスドロー。両校ともサッカーが日本人よりうまかった
中国人留学生をFWに起用。同じような戦法だったから引き分けたと
川村氏は記している。ともあれ、この初試合が行われた大正10年6月、
一橋大学ア式蹴球部は、正式に産声をあげたのである。

FW:王 干 兵藤 呉 張
BK:明石 吉野 進藤 川村、GK:松本

もう1点、おそらくサッカー部に初めて寄付をしてくださった大先輩、
田中虎之輔 について記しておこう。彼の先祖は幕末から明治にかけ
横浜で生糸・茶の輸出や両替商を営み、財を築いた田中平八。
単に利益を追求するだけでなく水道やガス灯の敷設など私財を投じて
公益にも寄与し、「天下の糸平」として世に知られた人物である。
その血を継ぐ虎之輔氏も「桁外れに年長のえらい実業家」だったようだ。

ちなみに「蹴っとばし団員」が彼から頂戴した「大枚50円」は、
大正10年当時、大卒銀行員の初任給と同じ額だったという。
現在の貨幣価値に換算すると、およそ20万円くらいか。
ヨチヨチ歩きを始めたサッカー部にとっては、本当にありがたい
寄付だったに違いない。以下、次回に続く。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記