酉松会(ゆうしょうかい)とは、一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。
「我々は蹴球部で生まれ そして育った」(昭和16年の卒業アルバムより)
如水会館の5階にある資料室に、有志から寄贈された明治時代以来の
卒業アルバムが保管されている。その中で小平グラウンドとサッカー部の
写真が掲載されている最も古いアルバムが、昭和8年のアルバムだった。
以下、年代順に戦前の写真を並べていく。
昭和8年卒の方々が卒業20年後に制作したアルバムには、
小平の航空写真が掲載されていた。年代は定かではないが貴重な写真である。
昭和16年卒の先輩が卒業に寄せて、以下の文章を記している。
それは、70数年が過ぎた今も色あせることなく、心に響いてくる。
『六年間真剣にボールを蹴って来た』
この言葉が我々卒業する部員の本当の気持ちを表現しているだろう。
入部した時はリーグ1部の末席であった。六年の後には漸く第2位に
進む事が出来た。この戦果は我々部員が青春の全部を燃やして闘い
穫っただけに、そして充分なる団結と旺盛なる意気がこの結果を
もたらして呉れたと信ずるが故に、今やこの懐かしい部生活に訣別を
告げるに際して、感慨一人深いものがある。
我々の学生生活を最も美しく、感激に満ちた生活たらしめて呉れたのは
蹴球部であった。喜びも悲しみも、今は総てが楽しい想い出の種として
我々の脳裡に去来する。我々は心から蹴球部に感謝している。
六年の間に社会のあらゆるものが変化して来た。
然も新しき時代に於ける蹴球部の使命は愈々重くなって来たのである。
我々は、蹴球部で生まれそして成長した者として、更に一段と輝かしき
発展を祈りつつ学窓を去ってゆくものである。
残念ながら昭和17年〜昭和20年代のアルバムは無かった。
おそらく戦中戦後の厳しい時代にアルバムを作る余裕が無かった
のかも知れないし、戦禍で焼失してしまったのかも知れない。
もし、その時代の写真をお持ちの方がいらっしゃったら、
ぜひご連絡ください。
酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記
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お忙しいところ、失礼致します。
ホームページを拝見いたしまして、ご連絡差し上げました。
NHK総合テレビ「日本人のおなまえっ!」を制作しております、
株式会社メディア・バスターズの川﨑と申します。
この度、番組で「サッカー」という呼称の歴史を取り上げることになり、
戦前の「蹴球」部の写真を探しております。
そこで、ホームページに掲載されている、如水会館5階資料室の
戦前の卒業アルバムのお写真をお借りしたいと考えているのですが、
番組での使用可否についてのお問い合わせ先は如水会館ということでよろしいでしょうか。
お手数をおかけいたしますが、ご返信よろしくお願い申し上げます。
川﨑