酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

大先輩たちの遺稿

昨年5月、私の手元に貴重な資料が届いた。

*昭和7年に創刊された部誌『蹴球』9巻
(ただし創刊号は川村 通先輩の記事「蹴球團時代」のコピーのみ)
*『蹴球』復刊(昭和26年8月刊)
*『蹴球部部報 㐧二号』(昭和25年8月刊)
*『予科練習日誌』(昭和17-18年)


昭和18年の予科練習日誌には当時の予科3年部員、
永倉眞平が使っていた定期券(高圓寺↔︎商大豫科前)が挟まれていた。
それを見るとJR中央線も西武多摩湖線も当時は「武蔵野鐡道」と呼ばれ、
1ヶ月の料金は「6円53銭」だった。日本銀行調査統計局の
企業物価指数によれば、令和4年の物価は昭和18年の420倍らしい。
そうすると「6円53銭」は 2,742.6円 ということになる。
ちなみに令和7年2月現在の定期券(高円寺↔︎一橋学園駅)の値段は、
学割で1ヶ月 8,550円 である。昔の方がずっと安かった!?

送り主は、令和5年8月に逝去された池田 致先輩(昭39卒)の奥さま。
元々は平成28年12月に逝去された同期の石綿浩之先輩の奥さまから
譲り受けたものだという。石綿先輩は一橋サッカー部の創設メンバーの1人、
松本正雄先輩の娘婿であったから、これらの資料は義父である松本先輩が
保管されていたものかもしれない。

また『60年史』には『蹴球部部報 㐧二号』は針谷 操先輩(昭28卒)の
秘蔵品との記述があるし、『予科練習日誌』は、これを記し定期券を
使っていたご本人、永倉眞平先輩(昭23卒)が戦後も所蔵され、
お二人が逝去された後、ご遺族が石綿先輩に手渡されたのかも知れない。
今となっては知る術もないが、いずれにせよ多くの大先輩たちが
後輩のために大切に守り、巡り巡って私の元に届いたというわけである。
改めて感謝申し上げる。

上述の資料はデジタル化して当サイトの左サイドバーに掲載した。
いずれも貴重なものだが、特に「予科練習日誌」が興味深い。
当時の練習メニューや試合時のフォーメーションが記されているし、
戦時下の部員たちの苦悩や焦燥感、サッカー部の崩壊危機などが
赤裸々に書かれている。しかも自筆で! 多少読みづらいのが難点だが、
彼らの心情がよりダイレクトに伝わってくる気がする。
日誌を書いた予科部員たちの写真を見ながら文章を読むと、
また一味違ってくると思う。お時間のある時にゆっくりご覧あれ。


OBOG諸氏の中で現役時代の資料や写真をお持ちの方は
捨てる前に名簿にある私の住所に送ってください。
よろしくお願いいたします。

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)

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