酉松会(ゆうしょうかい)とは、一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。
11月5日(日)、一橋大学 vs 東京理科大学の試合が行われた。
来年の天皇杯に出場する東京代表決定戦を兼ねた、東京都トーナメントの
第1回戦。会場は府中市にある東京外国語大学のグラウンド。9月に活動
停止処分は解かれたものの秋のリーグ戦には出場できず、36年ぶりに昇格
を果たしたばかりの東京都1部から2部降格が決まった今期。例年なら
引退する4年生はチームに残り、この大会に向けて練習に励んできた。
4年間の活動の集大成を下級生たちに伝えるため最後の戦いに臨んだのだ。
前半は気合が入り過ぎたのか、縦へ縦へと攻め急ぐ場面が目立ち、
相手の早い寄せと体を張った守備に引っかかり、ゴールが奪えない。
試合勘も鈍っていたのだろう。ボール離れが遅く連携もイマイチだった。
しかし後半は随分改善され、ボールを左右に散らせるようになった。
サイドからのクロスやセットプレイで3点を奪い、見事な勝利。
ゴールのたびに試合に出ている選手も出ていない選手も全員で喜ぶ姿は、
見ていて幸せな気持ちになる。遠い記憶が蘇り、心も体も熱くなった。
★試合ハイライト動画
https://www.youtube.com/watch?v=aQQt0K4hC3s
15時10分に始まった試合。終了が近づくにつれ陽がどんどん落ちていく。
照明設備もない。私の現役時代、こんな暗い中で試合をしたことがない。
それでも最後の最後まで気迫のこもったプレイを見せてくれた選手たちに
感謝! 次戦は12日(日)、東大にPK戦で勝利した電気通信大。戦いは続く。
それにしても、一橋サッカー部の長い歴史の中でも前例がない
「活動停止処分」という事態が、なぜ起こったのか・・・
小平通信で伝えられてはいるが、酉松会メンバーへの周知が十分では
ないと思うので、この機会に事の経緯を、もう少し詳しく記しておく。
【問題の発生経緯】
2016年5月 2013年度卒の0Bに、日本サッカー協会・前技術委員長の
S氏から、彼が運営するサッカークラブの中学生チームが、グラウンドを
確保できずに困っているため小平グラウンドを貸借したいとの依頼がある。
S氏は2013年に一橋サッカー部の技術指導をしていた。その縁もあって、
OBはS氏の要求に応えるべく現役GMに連絡を入れた。
GMは一部の部員と話し合い、グラウンドの転貸が大学の規則に反すると
認識しながらも、日本サッカー協会の関係者、そして自分たちと関わりの
深いOBからの依頼であり、かつ小平グラウンドの実質的な管理は、長年
サッカー部が行っていることもあって、利用者に使用方法と規則を十分に
説明すれば大丈夫だろうと判断。中学生チーム(以下、チームA)への
貸し出しを決定した。
2016年 6月 チームA 1回
2016年 8月 チームA 1回
2016年 9月 チームA 1回
2016年10月 チームA 1回・・計4回
甘いと言われても仕方がない判断だが、もし自分が当事者だったら
同じ判断をしたかも知れないと思う。しかし問題は、この後だ。
2016年11月 チームAへのグラウンド転貸を知った、地元の
少年サッカークラブが(以下、チームB)貸し出しを依頼してくる。
これを断りきれず、チームBにも貸し出しを始める。
金銭のやり取りは一切なかったが、両チームのグラウンド使用時間に、
サッカー部員が誰も立ち会わなかったことが、後に問題を大きくした。
2016年12月 チームA 1回 / チームB 3回
2017年 1月 チームA 1回 / チームB 1回
2017年 2月 チームA 1回 / チームB 1回
2017年 3月 チームA 1回 / チームB 3回・・計12回
この3月にチームBが、他チームと計6チームで対外試合を開催。
ある父兄が駐車場の場所を大学に直接問い合わせたことから転貸行為が
発覚した。学生支援課より指導を受けたサッカー部は直ちに転貸を中止。
以降の公式戦での小平グラウンド使用も自粛したが・・
2017年7月 無断転貸が長期にわたっていたことを重くみた大学側は
無期限の活動停止処分を通告した。学生支援課の指導を受けた3月から
7月の処分決定までに何かできなかったのかという意見もあるだろう。
しかし、この件に関して前年度の責任者から適切な引き継ぎがなされて
いなかったため、大半の現役部員が状況を把握していなかったという。
仮に把握していたとしても、まさか大学側がこんな厳しい処置を取ると
は誰も思わなかっただろう。結果論で誰かを責めるより、今後に向けて
の貴重な教訓とするべきだ。
【処分決定後の活動】
活動停止処分の通告を受け、現役部員は大学側と数度話し合いをし、
反省文や再発防止文書を複数回提出。酉松会の幹事会も協働して
嘆願書を提出した。さらに現役たちは反省を行動で表すため、学内の
清掃活動や地域の高齢者や障害者を支援する活動、日本語を母国語と
しない中高生の学習指導など、様々なボランティア活動を行った。
こうした彼らの真摯で粘り強い努力と一部OBの献身的な支援によって
大学側も歩み寄り、処分変更に必要なプロセスが大学として踏めない
夏休み期間であったにも関わらず、処分期間が2ヶ月に短縮されたのだ。
東京都大学サッカー連盟HPのNEWSコーナーにある10月24日付の記事
【特集:1部後期リーグ総括】の中で「無念の一橋、今思うこと」と
題された文章が掲載され、現役たちの社会貢献活動などが写真と共に
紹介されている。下記のアドレスをクリックして、ぜひご覧頂きたい。
http://www.f-togakuren.com/topics/detail/id=652
活動停止期間中、現役部員たちはサッカー面のコンディション維持も
怠らなかった。それぞれが個人練習に努め、出身高校の部活動に参加
する者も多かったという。また東京工業大学、上智大学、東京大学の
サッカー部が自分たちの練習に一橋の部員を、それぞれ数名ずつ参加
させてくれたそうだ。彼らのご厚意にも感謝したい。
しかし、秋期リーグ戦の参加は叶わなかった。
その経緯も記しておく。
8月27日開幕の前、8月中旬に監督会議が開かれ、一橋の活動停止処分
の取り扱いが議論された。その時点では3ヶ月(10月初)で処分解除
の見込みであったことから、最終2戦への参戦を要請したが、不戦勝
チームと最終2戦で対戦する大学間で不公平が生じるとの意見が強く、
1部リーグ参加校全校による持ち帰りでの投票で確定することになり、
その投票の結果、一橋の9試合全戦の不戦敗が確定したのだ。
本当に残念なのは、処分解除が現役に通知されたのが9月1日だった
ことだ。つまり9月3日の2試合目から参戦できる資格はあったのだ。
言っても仕方のないことだが、もう少し何とかならなかったかなあと
いう思いがある。
とにもかくにも今回の件で、現役はもちろん我々OBも、大学サッカー
部の活動というものは、それを取り巻く社会を抜きにしては存在でき
ないということを思い知らされた。そして現役諸君とりわけ4年生は
OBの誰もが経験したことのない苦痛を味わった。でも、これまで誰も
目を向けてこなかった地域社会との交流という得難い経験をしたのも
事実である。ぜひ、この体験を糧にして、力強く次のステップへと
向かっていって欲しい。
【未来に向けて】
最後にサッカー部のこれからについて、私なりに考えたことを記したい。
そのヒントとなったのが、如水会報2017年10月号に掲載された、
陸上部OBの後藤哲也氏(昭44卒)の記事である。
後藤氏はサッカー部の無期限活動停止処分について触れながら、
「学外者に利用させること自体がおかしいと判断されるのであれば、
それは大きな間違いである。一橋大学が所有する運動施設が、
もっと社会的に有効活用されてもいいのではないか。大学側と
運動部側がもっと真剣に考えて、よりよい方向性を見出すことは
できないのだろうか」と記している。
平成8年(1996)に小平分校(教養課程)が廃止されて、もう20年
以上になる。人工芝ではない小平グラウンドで練習や試合が行われる
機会も減った。かつては多くの部員が小平周辺に住んでいたが、今は
違う。学園西町の商店街もあまり活気はない。これらの事も、今回の
問題の遠因になっているような気がする。もう一度小平に多くの人が
集まるようにできないものか・・小平グラウンドを社会的に有効活用
することが、その一助になるのではないか。
地元の少年サッカークラブに小平グラウンドを使ってもらうことは、
決して悪いことではない。もちろん大学の許可を得ること、現役部員
が立ち会うことは必須であるが、むしろ部員やOBが、積極的に少年
少女たちのサッカー指導に参加してもいいと思う。
さらに小平キャンパスには、たくさんの外国籍の学生が住んでいる。
彼らと協力して、世界各国の物産や料理を売るバザールを開いては
どうか。学園西町の商店街にも参加してもらう。地元の人たちや
OBも加わって国際交流ミニサッカー大会を開催するのも面白い。
小平に衆目が集まるようになることは、小平グラウンドの人工芝化
を推進することの一助にもなるはずだ。地域社会の人も利用できる
グラウンドとなれば広く寄付を募ることもできるし、小平市や大学、
ひいては日本サッカー協会の協力を仰ぐこともできるのではないか
と夢想する。
以上、「活動停止処分」となった今期を振り返り、私個人の思いや
考え方を書いてきました。この機会に、OBの方々や現役諸君には、
ぜひ率直な思いやご意見を寄せていただきたいと思います。
私に直接メールしてくだされば、記事に反映していきます。
また、来年3月に発行する「酉松会新聞」への寄稿という形でも
構いません。どうぞよろしくお願いいたします。
酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)
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現役諸君の対応は総じて立派だったと思う。
この事案が、4年生諸君の将来に価値ある経験になってくれること、
3年生以下の諸君には来季以降の勝利の糧になってくれることを祈る。
なお緒方会長、酉松会幹事団のご努力にも敬意を表したいと思う。
山﨑 彰人(昭49卒)
学生はこの出来事をバネに大躍進してほしいものです。
自分が卒業した当事者だったら針のむしろですが…
それも含めて後輩たち頑張れ!
山根 言一(昭52卒)