酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

100年史⑧ 〜 関東リーグ2部で奮闘するも・・

終戦から15年、朝鮮特需を経て高度成長期に入っていく日本。
焼け跡から目覚ましい復興を遂げ、昭和31年度の経済白書 には
「もはや戦後ではない」と云うフレーズが踊る。

一橋大学サッカー部は昭和25年(1950)以来
ずっと関東リーグ2部にあり、何とか1部に上がろうと毎年奮闘するも
下位に低迷。ついに 昭和41年(1968)3部に降格 してしまった。
戦績は以下の通りである。



この間も春夏の合宿は、ほとんど小平で行われていた。
“技術で及ばない所は体力、気力で補う” ・・その伝統も変わらない。
有田 稔先輩(昭44卒)から提供された夏合宿の貴重なショットを
紹介しよう。練習メニューの一端を知ることができる。

昭和40年(1965)
メインイベント:グラウンド32〜33周

昭和41年(1966)
メインイベント:午前 立川 / 午後 多摩湖 往復ランニング



昭和42年(1967)

昭和39年(1964)東京五輪で日本代表はベスト8。
翌年には日本サッカーリーグが発足。
そして昭和43年(1968)メキシコ五輪で日本が銀メダルを
獲得するとブームに火が点き、小中学校からサッカーを始める
少年たちが爆発的に増えていく。しかし彼らが我が校に入学するのは、
まだ少し先のことであった。

以下、次号

酉松会新聞編集長 福本 浩(昭52卒)記

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