酉松会(ゆうしょうかい)とは、
一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。

写真で辿る小平の記憶 ❶

今年で小平キャンパスの歴史は、およそ90年になる。
昭和世代はもちろんのこと、平成10年代前半卒までのOBOGにとっては、
現在の小平国際キャンパスの風景は現役時代とは大きく違い、記憶も薄れ、
思い出すのがどんどん難しくなっていると思う。

そこで、『100年史』を編纂するにあたって集めた貴重な写真と
左サイドバーに掲載した『小平G建物配置図』を使いながら
小平キャンパスの変遷を、最初から辿ってみることにする。
では、タイムマシンの目盛りを90年前の昭和7年(1932)にセットし、
時空旅行スタート!

『東京商科大学の精神と風土』(大澤俊夫著)によれば、
小平の地に東京商科大学予科キャンパスの建設が始まったのは
昭和6年(1931)10月。まだ屋根が未完成の本館しかない下の写真は、
昭和8年度の「建物配置図」(それ以前の記録はない)と
ほぼ一致するので、昭和7年頃に撮影されたと推測できる。

そして昭和8年(1933)9月に新学期が始まったというが、この時も未完成。
昭和11年の撮影として上述書に掲載された下の航空写真は、
昭和12年度の「建物配置図」と一致するので、おそらく正しい。


戦前に造られた建物の多くは戦後も長く残り、授業や課外活動に使用された。
「建物配置図」に初めて記載された年度に従って列挙していく。
(竣工した年とは限らない)また写真は戦前のものが少なく、
多くは戦後に撮影されたものであるが、建物の外観は戦前のままである。
(卒業アルバムの写真の撮影年は不詳)

昭 8(1933)本館
昭 9(1934)プール / 弓道場 / 柔剣道場
昭10(1935)寄宿舎 / 食堂及学生控所 / 雨天体操場(体育館)
昭11(1936)書庫及図書閲覧室 / 特別教室 / 講堂
昭12(1937)如意団(坐禅部)道場
昭14(1939)浴室及便所












昭和20年5月25日、小平キャンパスは米軍の空襲を受ける。
昭和22年撮影の国土地理院の航空写真を見ると、
寄宿舎は焼失したが、その他の建物は無事だったようだ。
またグラウンドは戦後の食糧難を補うために農園として利用され、
所々に畑の畝のようなものが見える。

昭24-25(1949-50)寄宿舎の再建が始まる
昭27(1952)寄宿舎の食堂ができる
昭29(1954)寄宿舎4棟(旧一橋寮)が竣工
・・・噴水蛇口が4段から3段に 空襲で最上部を欠損?
昭31(1956)弓道場が浴室及便所の北側に移動






昭28(1953)〜 昭57(1982)
小平グラウンドでサッカー部の練習が始まる。そしてこの年、
寮として利用されていた学生控所が、運動部や文化部の部室となる。
以来、1982年(昭57)に取り壊されるまで使われ続けた。
建設された年(昭10)から数えると、この木造の建物は50年近くの風雪に
耐えたわけである。すでに私の代でも(昭52卒)ボロボロだった。
田舎から送られてきたミカンなどの食料や衣類を詰めたダンボールを
個人専用の整理ケースとして使っていたのを懐かしく思い出す。







最後に戦前と昭和30年代の小平キャンパスの航空写真を並べてみる。
寄宿舎が建て替わった以外は、ほとんど変わっていないことがわかる。

以下、次号に続く。

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