酉松会(ゆうしょうかい)とは、一橋大学サッカー部の活動を支援するOBの団体で
OB・現役有志の寄稿による「酉松会新聞」の発行、
OB戦やフットサルの開催など様々な活動を行い、
当ウエブサイトで公開しています。
令和5年(2023)3月4日(土)午前6時、
清水幸男先輩(昭44卒)が逝去されました。
ご葬儀の日時は下記の通り。
なお故人の強い意志で、生花・香典等はお断りとのことです。
葬儀:3月9日(木)13:30〜15:00
場所:カトリック田園調布教会
〒145-0071 東京都大田区田園調布3丁目43番1号 03-3721-7271
前列左から2番目が清水先輩。
現役時代は副主将兼GMを務め、名FWとしても活躍されました。
卒業後は日本興業銀行、西武石油㈱に勤務されていました。
長年、現役部員の試合に熱心に通われ、
また人工芝プロジェクトにも多大なる寄付を賜りました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
清水幸男先輩の訃報に接し、同期や後輩の方々から
追悼の言葉が寄せられました。以下に列記します。
有田 稔(昭44卒)
長兄の故清水征四郎さんと共に大学サッカー部への思いは熱く、
現役の試合には足繁く通い、いつも頭が下がりました。
コロナも収束しつつあり、そろそろ昭和44年卒の同期会でも
再開するかなと話していた矢先でもあり、
突然の訃報に言葉もありません。
山根言一(昭52卒)
清水幸さんが亡くなった!言葉が出ません。
有田さんのご紹介のとおり尊敬できる先輩でした。
ただただ、ご冥福をお祈りするしかできません。合掌
鈴木 茂(昭55卒)
ほんまにショックです。コロナ前は、現役のリーグ戦の応援で
10年間ほどよくご一緒して、試合後一杯やりながらサッカー談義に
花を咲かせたものです。応援席に座ることなく、コートの廻りを
うろうろしながら応援、分析されるのが幸男先輩のスタイルでした。
(腰が悪くて長く座っていられないとのことでもありましたが)
そんなに早く兄貴の征四郎さんの後を追わなくてもよかったのに、
残念です。ご兄弟で酉松会のメンバーで現役時代も重なっているなんて
他にあまり例がないのでは? 今晩は一人で献杯します。合掌
宮内正敬(昭47卒)
清水さんの訃報を頂くとは夢にも思っておりませんでした。
大変びっくりしました。清水さんは私が新入部員の時のグラマネで、
有田さんがキャプテンでした。初めてグラウンドに出た時のことを
今でも良く覚えております。新入部員はあの当時で12‐13人ぐらいで、
サッカーは今ほど人気がなかったと思います。練習の最後には、
ゴールラインからゴールラインまで約110メートルを行きはダッシュ、
戻りはランニングという「新入部員減らし?」のメニューがありました。
その時に笛を吹いておられたのが清水さんでした。
結局、夏合宿に参加した新人は4‐5人で上記のランニングが功を奏し(?)
見事に少なくなりました。私は、サッカーボールを蹴ったことがない、
ルールも知らないド素人でしたが、練習が厳しいという理由で
サッカー部に入ったので、辞める訳にはまいりません。
新人が減った理由は、厳しい練習もさることながら、当時の社会情勢、
就中学生運動が花盛りで、新人の中には「なんでこの時期に練習なんか
するのか」といった声も出ていましたが、「だったら辞めればよい」と
私は答えておきました。社会が騒然としていたのも事実です。
卒業後何十年もお会いできずに、このような悲しい知らせを聞くなんて、
やるせないですね。清水さん、大変厳しく且つ楽しい思い出を残して頂き
有難うございました。安らかにお眠りください。合掌
緒方 徹(昭49卒)
清水幸男先輩のご逝去のお知らせ、大変驚きました。
ショックが大きいです。有田先輩も書いていただいているように、
兄上の清水征四郎先輩(昭和41年卒)とお二人は本当に一橋の
サッカー部への愛情が深い先輩でした。征四郎先輩もそうなのですが、
特に幸男先輩は試合会場へ足を運んでくださった回数が大変多かったです。
現役に声をかけてくださったり、グラウンドやその後のOBの意見交換で
現役の試合ぶりへの思いや、酉松会の運営に直截なお話をして
いただきました。ご兄弟お二人共、人工芝の問題では折りに触れ
相談にのっていただき、色々とアドバイスや励ましもいただきました。
本当に感謝しかありません。お会いできなかったのが心に残ります。
こころから哀悼の意を表します。
山崎彰人(昭49卒)
幸さんと征四郎さんには現役のころから面倒をよく見てもらい、
社会に出てからも何かにつけて本当にお世話になりました。
コロナのせいでお目にかかれず、高峰文世先輩と一度飲もうと
言っていた約束も果たせず、心残りです。有田三兄弟、清水兄弟と
一橋ア式蹴球部の歴史に名を残す選手の思い出に思いをはせながら、
ただただご冥福を祈ります。合掌
大久保 寧(昭50卒)
本来であればサッカー部、ゼミ、勤務先の後輩であります私が
早く気付いて皆さんに御連絡すべきところでした。最後の最後まで
不肖の後輩で終わってしまったなとの思いで一杯であります。
まさかあの清水先輩が・・・、なんと言うことだろうか。
サッカーにおいては大変な理論家かつ左利きの闘将、
仕事の上では温厚な人柄から常に調整役を買って出て、
彼が居るだけで場が落ち着く、そんな方でした。
もうお得意の「はしご酒」で飲み歩かれる姿も見られません。
せめてあと1回は御一緒したかった。
そして多少は恩返しみたいな事もしてみたかった。
とにかく寂し過ぎます。合掌!
高峯文世(昭43卒)
清水幸男君の訃報に驚き、悲しみがこみ上げて呆然としております。
幸男君と最後にご一緒したのは昨年、駒沢での現役の対東大戦。
有田君と共に応援し、勝利の歓喜に浸った楽しい想い出です。
現役時代、幸男君は1年後輩で、家も近く、練習帰りは
兄の征四郎さんと共に一緒でした。小平の人工芝完成時には
私の同期の小林と幸男君と有田君の4人で視察。
我々の時代とあまりに違った素晴らしさに感激しました。その後、
汗まみれでジョギングした懐かしの玉川上水沿いを津田塾へと散歩。
そして恋ヶ窪駅から国分寺へ行き、ビールで食事を楽しみながら、
思い出を語り合ったこともありました。ここに幸男君の御霊が
安らかに天国へと、征四郎さんと共にお祈り申し上げます。
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